<「考えないヒト」ケータイ依存で退化した日本人>

last update 13.July.2009

 「考えないヒト」
 ケータイ依存で退化した日本人
 正高信男(まさたかのぶお)著
 中公新書

<ケータイ・メール>

 これはいっけん確かにことばで意志疎通しているよう
に見える。

 しかし、若者の携帯メールの使い方で多いのはむしろ
「うれしい!」や「悲しい・・」などと言った感情表現
が主だ。

 顔文字の多用はみなさんご存知の通り。
 その他にギャル文字・へた文字なんてものまである。
(ケータイの画面でですよ!)
(この本には実例もあり、若者文化を知るにはなかなか
興味深かった)

 つまり、文字情報はいまや脇役で、感情表現が主役に
なっている。

 たとえて言うならば、ボクがよく使う (^^ や (^^; 
などが主役である、ということ。

<ことばと視覚イメージ>

 わたしたちは、行動するとき「言語的発想(左脳)」
と「非言語的視覚イメージ(右脳)」とのバランスを上
手にとって、それで「いま、こうしよう」と判断してい
るという。

 しかし、いまの若者の言語能力は著しく衰え(コミュ
ニケーション能力もほとんどない・・)、その代わりに
「顔文字」「アイコン」に代表される視覚イメージに瞬
時に反応することにはたけている。

 自分のことばで、自分の頭の中でうまく思考できない
し、よく考えられない。けど視覚イメージが行動に直結
することがきわめて多いとするならば「キレやすい」若
者が増えてしまった原因のひとつは「ケータイ」のせい
と言えるのではないか、というのが著者の論理。ボクも
賛成。

 カミュの「異邦人」の解説は秀逸だ。「レエモン、浜、
海水浴、争い、また浜辺、小さな泉、太陽」こういった
断片的なイメージが殺人という結果を生んでしまった。
これはいわば「まっ白」なイメージだ。白い心になぜ?
と問うこと自体が筋違いなのだ。

 若者のキレた行動に「動機」はない。

 こわいことだが、受け止めるしかない、というすごい
時代に我々は生きている。

<ケータイがサル化を促した>

 いまの若者はニホンザルと変わらない。それは言語学
的に見ても文化度で見ても。なぜならば前述したように、
いまどきの若者は視覚的イメージによる感情表現が主に
なっているからだ。これはサルがうれしいときにキッキ
ッキッキッとないたり、敵を威嚇するときにガッガッガ
ッガッとなくのとそう変わらないという。

 つまり皮肉にもケータイなどのIT化が、現代日本人
のサル化を促したというのが著者の理論であり、これま
たボクも賛成である。

<なにも考えないヒト>

 ケータイのせいで、家族は崩壊し、父性はすでになく、
地域社会も崩壊した。崩壊してしまっている地域社会に
対し「地域社会の復活を!」なんて言っても無意味だ。

 大人も若者と同じく出会い系サイトに夢中で「あいさ
つがわりの性交渉」もあれば、意外に多いのが「ネット
上での純愛」を実現すべく、織り姫・彦星を演ずるのに
みな忙しいという。二重人格は当たり前。

 現実が厳しいので現実逃避したいヒトばかり。

 こうして日本人の多くは「なにも考えないヒト」とな
ってしまった。

 特定の政党を応援している方がややもすると変人扱い
されたりする。

 ただただ、おいていかれるのがいやで、ブランドもの
のバッグを買いあさり、流行に乗り遅れまいとする。ケ
ータイで「ただつながっている状態」が最重要項目で、
それがないと不安でたまらない。

 悲しい現実である。

 人類が生み出した「ケータイ」が「ライフスタイル」
をも大きく変え、そればかりか、日本人は「サル」にな
ってしまった。

 これは「ケータイ」を発明する前には予期できなかっ
た事態なのだろう。

 ケータイメール依存症、ネット中毒からはなかなか抜
け出せない。

 かといって、ケータイのない時代にまであと戻りもで
きない。

 ケータイやネットを「道具」として使うことが大切だ。

 ネットワークは広がってしまったので、依存症や中毒
にならないよう、氣をつけながら「新たな社会のネット
ワーク」を構築していくしかないのだろう。

<視覚イメージで衝動的に!>

 本来は当然!中学生・高校生・大学生などにケータイ
は不要だ。だから親が子にケータイを買い与えなければ
よいのだが、現実にはそれはほとんど不可能の様相を見
せている。

 この「日本人のサル化」現象をつくりだしたのは、決
して若者ではなく「その親」だ。常に大人がわるいし、
大人に責任がある。

 コミュニケーションばかりが便利になって、いったい
なにが残るというのだろう。「IT化」や「おカネ」「
石油」「軍備」などばかりに目を向けていた我々の責任
である。

 日本人の多くは「サル」になってしまったので、相当
注意して接しないと、たいへん危険な目に合うだろう。

 なにしろ相手は
 特になにも考えずに
「視覚イメージ」で
 感情のままに行動するのだから。

 怒らせたらまったくなにをされるかわからない。

 そういう「暮らしにくい」社会をつくったのは「ケー
タイ」と言っても過言ではない。

<捨てるということ>

 念のため繰り返すが「ケータイ」や「ネット」を否定
しているのではなく、それらに依存することなく「道具
」として割り切って使用することが大事なのだろう。

 人間が生み出したものに「使われては」いけない。

 またときには必要でない道具は「捨てる」勇氣も必要
だろう。

 捨てなければ、新しいモノも考えも生まれないからだ。

 まず「おカネ」に目を向けることを減らしていくべき
だと思う。

 「おカネ」のためだけに動くのはあさはかだ。

 いま自分のしていること(行動)は、みんなのために
(また自分のためにも)なっているかを常に念頭におい
ておきたい。

 それを肝に命じることを怠ればろくでもない終末があ
っという間にやってくるだろう。

 そうならないよう「ケータイ」からは距離をおきたい。

* この文章は14年前のパソコンで作成しました。現
在の Vista マシンよりも快適に動作しています。ここ
14年間のパソコンの進化とはいったいなんだったんだ
ろう・・と思います。とても進歩とは言えないような氣
がします。

 ふじかわ おさむ at 和歌山市


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