< 「永遠のゼロ」感想文 >





 18 January 2015

「永遠のゼロ」感想文 (2013. 12. 21公開作品)

 映画好きのYくんが「これ、日本から送ってもらったん
です。2014年の話題作なんですけど、どっちかってい
うと戦争賛美の映画らしいんです。ぼくもまだ観てないん
ですけど、よかったらお貸しします」と言って貸してくれ
たDVD。

 戦争映画かー。あまり得意分野じゃないけど、Yくんが
言うなら観てみよう、と(期待せず、)観始めたら、最後
まで集中して鑑賞を終えた。

 結論を言えば「素直に感動した」し「おすすめできる」

*

 宮崎駿さんは、たぶんこの映画の中の「ゼロ戦の旋回能
力とか航続距離とか」そういう細かいところが気になるの
だろうけど、映画の後半では「その頃には敵機の方が性能
が勝るようになっていた」など素直に認めるナレーション
も入るので、それこそ、そんなに敵視しなくてもいいので
はないかな、と思った。

*

 凄腕パイロットの(主人公)「宮部久蔵」は、乱戦のと
きはいつも離脱していた。いつも(仲間に対しても)「生
きて還ること」を叫んでいた。(戦時中なので彼の思想は
幾度となく逆風を受けることになる)

 また、見逃せないのは、彼が戦時中の日本軍の作戦ミス
の多くをリアルタイムで指摘している点。

 真珠湾奇襲にしても米国の空母を叩けなかった点。また、
敵機襲来時に魚雷の交換を船内でしていたため日本軍の空
母が大打撃を受けることを予想していた。さらに別の作戦。
5時間も飛んでから敵陣にて攻撃開始しても燃料が全く足
りないこと、(体力も気力ももたないこと)も予想してい
た。

*

 ぼくは、原作者「百田尚樹」さんのことは知らない。し
かし映画を鑑賞し終わった翌日、Sさんに映画の感想を話
したところ、Sさんより「彼は、右寄り、というか右その
ものって感じのヒトです。youtubeで見ました」という情
報を得た。

 だとするならば、ぼくはなおのことおどろくのだ。「永
遠のゼロ」はすばらしいバランス感覚をもった映画だ、と。

 作者は、もっとゼロ戦の性能の良さを言いたかったかも
しれないし、パイロットや兵士の格好良さを見せたかった
かもしれないし、潔く死んでいける強い精神を出したかっ
たかもしれないけれど、映画全編に渡るストーリー構成に
は戦争賛美的ないやらしいシーンは非常に少なくまとめら
れており、やはり強調されているのは宮部久蔵の「生きて
還りたい、妻や子供のために」という点なのだ。

「生きて還る」、これを小説や映画のテーマにどっしりと
置いた、その原作者の「勇気」を称えたい。

*

 以下、まだ、映画「永遠のゼロ」を観てない方は読まな
いでください。ネタばれがあります。(まぁ、なるべく隠
したつもり)(笑)

*

 宮部久蔵の「生きる思想」は、若者たちからは理解され
ないことも多かった。しかし、ある日、特攻訓練時に飛行
機の不調(機首を上げられず墜落)により若者が死に、そ
の晩、国務長官より「死んだ若者は精神がたるんでいたか
ら」との講話があった際、宮部久蔵は口を開いた。「いえ、
彼は勇敢な、そして優秀なパイロットでした」と。(その
後、宮部久蔵はたいへんなことになるのだが、)

 彼の「曲がったこと、間違ったことは決して許さない」
ましてや、それが勇敢な死者に対することばであればなお
さらだ、という気概に寄宿舎にいるほとんどの若者(訓練
生)は宮部久蔵を慕うようになる。みんながいっせいに敬
礼する。感動のシーン。

 ある日、実戦時、めずらしく宮部久蔵が敵機から追い回
されたとき(後ろに、はりつかれたとき)、大石くんが彼
を守った。(おどろくべき方法で)これをきっかけに、絆
(きずな)が生まれる。

 そして宮部久蔵の最終日、彼は、「旧式」の飛行機を選
ぶ。新式のエンジンからの異音を聞き分けていたのかもし
れない。そして、紙を一枚、将来ある者たちへ託す。これ
も映画の最後のほうに映像化される。感動のシーン。

 司法試験に落ち続けて(いいじゃないか)(笑)うだう
だしている佐伯健太郎、の祖父・賢一郎さへ知らない事実
があった。それは祖母・松乃が戦後、どこかわるい組織に
軟禁され、身動きがとれない状態になったとき、ある、日
本刀の使える勇敢な人物が守ってくれたというのだ。その
ヒトは血のついた日本刀(短刀)を持っていて、自分の財
布を松乃に投げつけ「生きろ」とだけ言ったという。

 清潔感のある部屋に「日本刀」が飾ってあるシーンは覚
えっていらっしゃることだろう。「あぁ、それは、血、吸
ってるぞ」と、低い声が流れたことも。

 つまり、あの渋い彼だったのだ。松乃を守ったのは。

 ぼくがすごいと思ったのは、大ボスを日本刀で切った、
ということもさることながら、宮部久蔵が愛した妻「松乃
」が戦後の混乱期に「とらわれの身」になっていることに
気づき(同じ業界人だからか?)、さらにその居場所まで
つきとめていたことだった。

 考えてもみてほしい。戦後の混乱期には自分が生きるこ
とでさへ誰しも精一杯だったはず。その混乱期に、あるヒ
トと娘さんを守るために、ある大ボスを殺すのはたいへん
なことだと想像できる。

 それは、師・宮部久蔵から模擬訓練(実弾あり。実戦中
だったので)をさせてもらった際、いつも実戦から無傷で
帰還する憎い「師・宮部久蔵」の機を、葛藤しながらも「
撃ってしまった」苦い過去への、彼一流の命をはった「つ
ぐない」に他ならない。

*

 彼は「水平に飛んでいるように見せかけて、機をわずか
に横に滑らせていたんだ」

 思い出すだけで、感動してしまう二人の飛行シーン。ラ
ンデブゥー。

 自分を憎む人間にも優しい宮部久蔵。
(しかし、いつも先の先まで、見抜いてる、その先見性、
想像力は、ハンパじゃない)

 命を誰よりも大切にしていて、しかし、いつでも「命」
をはれる男。

*

 彼が去ったあと、

 戦後のバッラク生活を笑顔と共に生きていく「家族シー
ン」も、とても美しい。

 見逃せない映画。生きているうちにぜひご覧ください。

*

 映画「永遠のゼロ」の最後のほう、戦後のバラック生活
のシーンで、「みな、なにごともなかったかのように、生
きてきたのです」というなんとも美しいフレーズが流れる。

 このフレーズを聞いたとき、「これだ!」と思った。

 いまの東京・関西の雰囲気はこれだろう。

「福島事故」などまるでなかったかのように生活するもん
だ、というこの姿勢こそ、日本人の美徳なのだ。

 だから東京から避難しないヒトたちは、なにも「仕事や、
せっかく入学できた息子の私立中学」などがもったいなく
て避難できないのではなく(そーゆーヒトもいるにはいる
だろうけど)、なにごともなかったかのように暮らすこと
こそ、日本人の美徳と感じているからなのだろう、と思う。
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