<「千と千尋の神隠し」感想文>





 26 May 2014

 「千と千尋の神隠し」感想文

 ぼくは残念ながら記憶力はそんなに良い方ではないので、
印象の薄い映画のあらすじは数年も経つとすっかり忘れて
しまう(笑)しかし、この映画「千と千尋の神隠し」は違
った。劇場公開と同時に東京渋谷で観たあの日、感慨深く
映像とストーリーを受け止め、その後、何年経ってもおお
むね覚えていたのだからよほど印象深い映画だったのだろ
う。

 昨日、あらためて観て、やはり期待を裏切らなかった。
この映画は次のようなメッセージを伝えたいのだと思った。
ちょっと子供っぽい表現と思われるかもしれないが、ぼく
はこんなふうに受け取った。

1.若者たちよ、あいさつはちゃんとしようネ。
2.お世話になったら、お礼はちゃんと言おうね。
3.若者たちよ、働かないのなら、生きられないのだよ。
4.お父さん、食べ過ぎないでネ。太っちゃうから。
5.愛は時空を超える。

 1と2はほとんどいっしょ。だいたいこんな文章を読ん
でもあいさつをしない若者はあいさつをしないままだろう
が、映像の力はもしかしたらそんな若者たちをも変えてし
まうのではないか、と思わせるくらい強くあって、かつす
がすがしい。

 3についてはあまり心配ないかもしれない。千も、急に
おっかない「ゆばあば様(魔女)」のもとで、八百万(や
およろず)の神々が団体旅行で訪れ癒される銭湯で働かざ
るを得ない状況に置かれたときに不慣れながらしっかり働
き始めたのだから。

 4は比較的強いメッセージとして受け取った。映画の冒
頭で、お父さんとお母さんが屋台で食べ始める。千だけは
食べないで、ちょいと橋まで遊びに出かける。(そこで白
(はく)に出会う)白から「戻れ!ここは人間がくるとこ
ろではない!」と言われて屋台まで戻ると、なんとお父さ
んとお母さんは・・というシーン。

 誰もが「あっ」と息を呑んだことだろう。宮崎駿は著書
でこんなことを言っている。「みんな食べ過ぎだと思いま
す」と。そうなのだ。日本語には美しい表現がたくさんあ
って、そのひとつが「足るを知る」だろう。今日の夕飯、
もう「腹八分目」ちょうどいい、ご馳走様、ありがとう、
こういった感謝の氣持ちを持つことがからだにも心にも精
神にもいいのだろう。

*

 くさーい神様が銭湯にやってきたとき、誰もがあまりの
くささに対応できない。ゆばあば様は新米の千に応対させ
る。千は精一杯やれることをする。ヘドロの中に自転車の
ハンドルらしきものを発見。ロープをくくりつけてみんな
でひっぱる。するとヘドロの中からたーくさんの過去に捨
てられた産業廃棄物やゴミがワサワサ芋づる式に出てきた。

 ぼくが今回このシーンで理解したのは、たくさんのゴミ
を川に捨てたのは人間だということ。しかも川がヘドロに
なってしまったということは合成洗剤や工業製品をつくる
過程で工場から排出される化学物質が原因だろうというこ
と。また人間の糞尿を浄化するために化学物質を混ぜて川
に流しているのも事実。つまりあのくさーい臭いは人類の
近代文明の負の遺産に過ぎないと理解した。

 しかし実はこの神様は名のある川の神様だったので、大
量の薬湯(くすりゆ)できれいさっぱりなったあと、砂金
を残して去って行ってくださった。

 その後、顔ナシが銭湯に入ってくる。(千が彼女の優し
さから扉を開けておいたから)こいつはかなりの化け物で
(笑)砂金で釣ってかえるや番頭など三人を飲み込みなが
ら、さらにご馳走を喰い散らかしながら銭湯内を闊歩する。

 ところが千は顔ナシから砂金をあげる、と言われても「
いらない。わたし、いま行かなくちゃいけないの」とこと
もなげに断る。千は砂金やおカネといったものに興味がな
い。それよりももっと大事なもの、両親を取り戻す(そう
そう、両親にあげようと思っていた「にがだんご」を顔ナ
シにあげる優しさに感動した)そして白様(はくさま)を
助けることにまい進する。自分を二度も救ってくれたヒト
だから。

*

 物語の後半、すっかり優しくなった窯じいはリンに言う。
「わからんか、愛だよ、愛!」とても良いシーンだ。にが
だんごを傷ついた白龍に無理やり食べさせる千の姿。いと
おしい。

 二両編成の鉄道が海の上を走る、幻想的なシーン。白が
盗んだ魔法の判子(印鑑)をゆばあば様のお姉さまに、白
にかけられた魔法を解いてもらうために千は六つ先の駅ま
で海の上を鉄道で移動する。

(観客の)おおかたの予想と違い、千はゆばあば様のお姉
さまに暖かく迎えられる。ねずみ(坊に魔法がかかってい
る)は糸紡ぎの手伝いをクルクル走って楽しんでいる。み
んなで紡いだ糸でつくった髪結いを千は少しだけ大人っぽ
いしぐさで結ぶ。玄関を開けると回復した白龍が迎えにき
ていた。

 二人の飛行シーンで、今回聴き取ったエピソード。白は
もともと川の神様で、千が小さいとき、川でおぼれかけた
ときに浅瀬に運んでくれたのだった。それを千は記憶をた
どって思い出し、白は千を助けたことは忘れていたものの
「千尋(ちひろ)」の名前だけは最初に出会ったときから
なぜか知っていたのはそういうわけだった。

 最後から二番目のシーン。ゆばあば様のところにいる「
坊」は「坊」ではなく、砂金は砂金ではなかった。魔女で
も魔法は見抜けない。いや、これは映画からのメッセージ
で、砂金(おカネ)なんてものはもともと幻(もしくは幻
想)なんだ、ということ。

 つまり砂金にはもともと魔法なんてかかっていなかった
とも言える。ぼくらのおカネもそうだ。紙幣は紙だし、預
金は銀行の中のハードディスク・データである(笑)。

 宮崎駿さんは著書の中でいう。

 損得はあとまわしで力をつくして仕事をするのは当然で、
金のために仕事するなって。いや、金のために働かなきゃ
いけないんだけど、そういう考え方は自分を貶める(おと
しめる)ことになりますから。

*

 最後に、もうひとつ彼の名言を抜粋します。

 半分素人の方がいいんですよ。それは自分が選択して、
自分がプロだからやるんじゃなくて、自分がこれをやりた
いと思うからこれをやっているんだという、やっぱり精神
の方が大事なんですよ。

 このことばにどんなに勇氣づけられたか知らない。
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