<都会暮らしは好きですか。 田舎暮らしもいいと思う。>

last update 30.August.2002


<ヒトはなぜ環境破壊をするのか>

  学生の頃からこの年齢になるまで環境問題の本を何冊か読んできた。それらを
読んで分かったことは、言うまでもなく大気、海洋、土壌など地球環境は危機的
な状況にあるということ。環境問題の深刻さはレイチェル・カーソンが「沈黙の
春」を世に送り出したときから、広く認知されてきたはずだが、一部改善された
かに見えるものの、総じて環境破壊の速度は少なくとも緩やかにはなっていない
ようだ。

  「地球環境を守ろう」とか「地球に優しい」などという標語をよく見かけるが、
それらを見て軽い反発心が生じるのを感じるのは私だけではないだろう。我々が
地球の中で生かされているのだから、もっと謙虚な表現をするべきだ。言ってし
まえば、地球環境の破壊をくい止める最善の手は、人類が地球からいなくなるこ
と、それ以外にないのだから。(けれど、みんながみんないなくなるわけにもい
かないだろう)

  確認しておきたいのは、地球上に生きているあらゆる動物の中で、環境破壊を
している動物は人間だけだということ。しかしなぜ人間だけが環境破壊をするよ
うになってしまったのだろう?二足歩行するようになってから手を使えるように
なり、道具を発明することを覚えた。火の発見もあるだろう。先人たちの絶え間
ない努力によって産業革命が起こり、現代文明はいま見るような発展を遂げた。

  おカネの問題もある。おカネは貯金できるという性質を持ち、腐らない。さら
に大金を貸出すことによって利子を得られるということになり、債権が考案され、
いまや世界を駆け巡るヘッジ・ファンドやデリバティブのような金融商品へと姿
を変えてきた。

  産業と金融は仲良く手を結んだ。そしてどんなことが起こったかというと、お
カネを儲けた人がいい暮らしをできるということになった。おカネを儲けるため
には、石油を掘り出してもいいし、クルマをつくって売ってもいいし、ダムを造っ
てもいいということになった。

  つまりエネルギーを使い、環境を破壊した人が、おカネを儲けることができて、
昔ながらの自然と共にある生活様式を守ろうとした人は、儲からないということ
になった。

  儲からないだけならまだしも、住民税や厚生年金や各種保険など、国や自治体
にある程度のおカネを納めなければならない仕組みがつくられたこと、また、冷
蔵庫や洗濯機、テレビやクルマなどの便利さや魅力が過度に宣伝され、それらを
買わなければ現代人ではないという錯覚を抱かされるほど、メディアによる情報
操作があった(ある)こともあり、最低限(人によって基準が異なるが)の収入
は必要、ということが常識になった。

  貨幣経済は、いまや世界の隅々、南太平洋に浮かぶ小さな島々にまで波及して
おり、貨幣経済が浸透してほしくない、迷惑だと思っている人たちの日常の生活
をも揺るがすことになっている。

  駆け足でおカネの問題を述べたが、環境問題に戻ろう。別にいくら環境を破壊
しても、人類60億人が生きていくのに、地球が十分に大きい、つまり許容範囲
にまだ余裕があるのならマネーゲームに翻弄されるのもひとつの生き方かもしれ
ない。

  しかし、考えてもみてほしい。ごはんは稲から、パンは小麦から、大根や人参
は畑から、魚は海から、鳥肉は鶏から、豚肉は豚から、牛肉は牛からというよう
に、普段私たちが口にする食べ物はすべて自然の恵みだ。カロリーメイトは確か
に工場で生産されているが、原材料はすべて自然の恵みである。(添加物は別と
して)

  けれど、主に先進国に属する数億人が、もしいまのまま好き勝手に自然環境を
破壊し続けるなら、やがて地球の許容範囲を越え、自然は様々な恵みをもう与え
てくれなくなるかもしれない。(実際、そうなりつつあるのだが、)

<環境問題の例を少し>

  水の問題もある。体にはあまりよくないだろうが、蛇口をひねれば水道水が出
てくるのはありがたい。なぜならば、貧困な国々では、まず飲み水を確保するこ
とさえままならない状態と聞いているので。

  ところで、水というのは循環する。油もののあと、お皿をそのまま洗って、油
を下水に流すことはないだろうか。また、洗濯機から排水された洗剤の混じった
汚水は、浄化施設を通るものの(施設で付加された化学物質と共に、完全にはき
れいにならないまま)河川に流れ出る。それは海に流れるから、海の魚はちょっ
と苦しいだろう。(その汚水の中を泳ぐプランクトンを食べた魚を人間も食べる
のだが)海水は水蒸気として上空に昇り、雲になり、雲は大陸に移動し、雨にな
る。雨は川の上流にも降り注ぎ、ダムにせき止められた水は飲料水となる。つま
り、人間が汚した水は必ず人間の体に入ってくる。これが理解できないと環境改
善は一歩も進まない。

  大気の問題もある。真夏の都内では連日、光化学スモッグ注意報が発令される。
外を歩けば肺が痛くなり呼吸が苦しくなる。目も痛くなる。ひどいときは家にい
ても呼吸が苦しくなる。

  また、現代農業では、化学肥料と農薬で野菜を育てるので、年々土壌が汚染さ
れている。もちろん、そんな野菜を食べればヒトの健康は維持できない。豚肉や
牛肉の汚染はもっと深刻だ。狭い日陰の場所で飼育され、餌の質はわるく、病気
にならないように抗生物質を投与されている。(BSEが話題になっているが、
それ以前から肉食は極力控えている)

  フロンガスによるオゾン層の破壊も進んでいる。オゾン層が破壊されることに
よって紫外線が降り注ぎ、皮膚癌や奇形児の原因となっている。

  このように環境問題は枚挙にいとまがない。それでも熱帯雨林伐採、地球の砂
漠化...なにひとつ環境破壊は止まる気配すら感じられない。

<誰が敵なの?>

  私はいままで、楽観論者だった。人間はそんなに馬鹿じゃない、もっと賢いは
ずだと、どこかで信じてきた。いまは環境破壊をしているけど、いつか数百の環
境保護団体の勢力が盛り返し、緩やかにしかし確実に環境破壊の速度は収束に向
かうだろうと淡い期待を持っていた。

  しかし、ここにきて、そんなに甘いものではないことが分かってきた。政官財
の癒着がわるいんだ、大企業がいけないんだ、と思ってきたが、事態はそんなに
単純ではなかった。

  言うならば敵は身近なところにいた。自分自身であり、あなたであり、友人で
あり、両親であり、会社の同僚だった。幸いなことに私のまわりには、いわゆる
善良な市民が多い。みな、真面目に働き、収入を得て、けんかなんかなるべくし
ないで、家族を大切にし、友人とうまくやっている。

  しかし、あなたが働いている会社はどんな会社だろうか。環境を保全している
組織ではないだろう。残念ながら、99%以上、直接にせよ間接的にせよ環境を
破壊している企業に違いない。上に述べた通り、金融と産業は仲良く手を結んで
しまったので、あなたの会社はヒト、モノ、カネ、情報のいずれかをつくったり、
流通させたりする会社に多分違いないだろうと思う。あなたがかける電話、あな
たがうつメール、それらが一歩一歩確実に環境破壊に加担していることになるの
だ。

  つまり、いまや日本では就業者の70%を占めるサラリーマンやその他の仕事
・商売は、ほとんど完璧に巨大な地球環境破壊システムに組込まれてしまってい
ると言えるだろう。このシステムに参加することによって、途上国の貧困増大に
も手を貸し、先進国との格差を広げることにもなっている。残念なことだが。

<では、どうするのか?>

  私は、善良な一社会人?を装ってきたが、この事実を知って、一刻も早く会社
を辞めて、無農薬のお米や有機野菜をつくって自給自足の生活に入ろうとさえ思っ
た。しかし社会はこのシステムから外れようとする者を引き止め、それでも外れ
てしまった者には容赦しないという仕組みもあり、睨みをきかせている。つまり、
低収入者は貧乏で悲惨な生活を強いられることをチラつかせるのだ。この社会で
は「ある程度の」収入は必要なんだよ、と脅す。

  いま、私はこの脅迫に打ち勝とうとしている。具体的にも、目標に向けて少し
ずつ手を打っている。振り返って見れば、五年前、自然農法をたとえ遊びであっ
ても学んだことから、その準備は始まっていたのだろう。

<おカネが第一>

  話を全体(マクロ的視点)に戻そう。私はある意味で、この世の中の現状に絶
望している。それは、1.環境破壊が止まらないこと。2.貧困と格差が広がる
ばかりだということ。3.善良な市民は巧妙に、大きなシステムに組込まれてし
まっていること。(おカネを稼がないと生きていけないというふうに洗脳されて
いる)などがその理由だ。

  どれも手強いが、たとえば、恵まれた国、日本の中にも貧乏な人はたくさんい
て、パートをしながら子育てをしているお母さんや、(貧乏とは限らないが)ボ
ケた両親の面倒を見なければならない人もいるだろう。こういった人たちは、仮
に環境問題の深刻さに対する認識があったとしても、日々の生活が自転車操業の
ように目まぐるしく、一日一日を生きていくのが精一杯なので、地球環境のため
に仕事を辞めるなんてことは、もちろん馬鹿げたことに違いない。

  では、子供が二人いる四人家族で、家のローンを返し続けているお父さんはど
うだろう?貧乏ではないかもしれないけれど、上の例と同じく、会社を辞めるな
んてことは考えられないだろう。それよりも解雇されないように頑張らなければ
ならない。

  周囲を見回してみると、この豊かな国、日本でさえ、日々、家計をやりくりし
ながら生きている人が、むしろ多数派なのではないだろうか。つまり、この中に
仮に環境に対する意識の高い人がいたとしても、なかなか会社は辞められないと
いうことであり、それはすなわち、この巨大な環境破壊システムは永く維持され
るべく、よくできていると言える。

<小社会の提言>

  グローバリズムには反対だ。いまこそ、地域社会や小社会の復活が待たれる。
野菜や米や日常に必要なモノをなるべく小社会(村)の中で自給できるようにな
れば、遠くのモノを大量に運んでいる現在の流通システムは徐々に消えていくだ
ろう。今後、貴重な石油(ガソリン)の消費を減らしていかなければならないの
だから。

  最近、地域通貨が話題になっているが、ひと昔前の日本では、結いなど、お互
いに顔が見える関係があったことを思い出そう。地域通貨は名案だと思うので、
運営可能な地域ではどんどん推進したらいいと思う。しかし、地域通貨の案は海
外からきたものだ。元来、日本には地域通貨がなくても、小社会が立派に成り立っ
ていたことを誇りに思ったらいいのではないだろうか。

  けれども、小社会の復活はいまのところ夢物語のように思える。まず小社会化
の第一歩として、都会からUターンして田舎暮らしを始めるヒトが増えなければ
ならない、と思う。そのためには国や地方自治体の協力体制も欠かせない。

<田舎暮らしをする人々>

  こんな状況の中でも、最近、田舎暮らしを成功させた家族の話をよく耳にする
が、そういう人はどうも都会で暮らしていた頃も、比較的裕福だった元会社員が
多いようだ。

  中には、まったく貯金なしで、田舎へ移り、養鶏と有機野菜を始め、家まで自
力で建てて、成功している人もいるが、どう見てもこういう人は器用だし、自給
の能力が高い。

  あらゆる能力が高い人は都会でも高収入を得て、一転、田舎へ移っても自給す
る能力も同じように高かったりする。反対にそうでない人は、どこへ行っても苦
労する。こんな構図さえ見えてくる。こういう言い方は元も子もないので、書き
たくなかったが、あえて書かせてもらった。(しかしこれが事実なら、誰でも田
舎暮らしができるとは限らないということになるので困ってしまう。誰でも田舎
で暮らせる世の中にならないだろうか)

  私がたいした能力を持っていないことは確かなのだが、振り返れば、一営業と
しても一度、良い結果を残したことがあるし、その後、三度、転職したが、どの
会社でもそれぞれに学ぶことができたことを考えると比較的幸運に恵まれていた
ようだ。

  現在でも、このような拙い文章を書きながら、ゆっくり人生の先行きや、地球
環境や地域環境の現状について考える時間があるということは、多分、ヒトより
も恵まれていることの何よりの証拠だろう。

<恵まれているとは?>

  たとえば、恵まれているヒト(能力、おカネ、運のどれか、もしくはその複数
を持つヒト)が、恵まれていないヒトに向かって「おカネを稼ぐことより、環境
保護の方が大事なんだ」なんてことを言ってもナンセンスである。多分、聞く耳
を持ってくれない。

  しかしながら、以前の会社の同僚の中にも、いかに売上を上げ、インセンティ
ブを獲るかに命を燃やしている者もいたし、うまくいっている会社の取締役クラ
スは、もっと、もっと儲けたいと思っているに違いない。

  つまり、パートのおばさんも、中堅の会社員も、社長クラスもみんな、一番興
味があることは「おカネを稼ぐこと」なので「環境破壊や環境保護」の話題は二
の次、三の次となっているのが、いまの世の中なのではないだろうか。ヒトの欲
望に際限はないようだ。

<珊瑚礁は...>

  先日、沖縄本島の珊瑚礁がほぼ全滅に近いというニュースが流れた。グレート
バリアリーフの珊瑚礁も90%が消えることがほぼ確実視されている。我々にとっ
て母なる海が悲鳴を上げている。人間が海水を汚し、オゾン層を破壊してしまっ
たために、将来、海にクジラもイルカも、さかな一匹、いなくなるだろうという
予想すらあると聞く。

  海に魚がいない時代、人類は何を思うだろうか。

                    2002 年 8 月 28 日  ふじかわ おさむ at TOKYO
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